この「御坂サイフォン」は当時内務省雇だったイギリス陸軍小将パーマー氏が設計監督にあたり、鉄管もイギリス製でわが国初めての「サイフォン(噴水管工法)」が採用されました。
淡河から送られた水は、高さ五〇余メートルの御坂北側の山に着きます。直径九六センチ、延長七五一メートルの鉄管が急角度で下がり、志染川を横断、高さ約五〇メートルの南側の山に登っています。この中を用水が通るわけですが、北側の落水ポイントが、南側の受水ポイントより二、五メートル高いため、落水した水が自然に南側へ噴き出す仕組みになっています。
志染川を横断する部分は拱橋と呼ばれ、地域民の利用する道路橋に併用、御坂地区が火災の場合は鉄管の水が利用できるように消火せんもあり、その水圧は並のポンプよりはるかに強くなっています。
明和八年(一七七一)に計画、百十七年後の明治二十一年にようやく着工したこの疎水工事は、当時としては画期的な大事業でした。そうしてこのサイフォンは昔の姿をそのままに役割りを果たしています。
兵庫県・三木市